ジブリパークを歩いて 特別編
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ジブリパークのある愛・地球博記念公園で2025年7月12日(土)~9月25日(木)に開催の「鈴木敏夫とジブリ展」に合わせ、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー(名古屋市出身)と長女・鈴木麻実子さんの対談イベントが7月に同市内で開かれました。
「ジブリは名古屋で生まれた。」と語る鈴木プロデューサー。鈴木家や映画製作の秘話に加え、名古屋にまつわるエピソードも飛び出しました。(司会・フリーアナウンサー 小島一宏さん)
―展覧会に約1万点の映画コレクションがあります。映画は昔から親しみがあるのですか?
鈴木敏夫(以下、敏) 名古屋の黒川に映画館ありましたね。黒川に住んでいた頃、歩いて3分の場所にあって、毎週通っていました。親父が日本映画が好きだったんですよ。おふくろは洋画派で、口癖は「映画は金がかかってなきゃダメだよ」でした。
鈴木麻実子(以下、麻) 私も子どもの頃、毎週日曜日、父と映画を見ていました。父が3本ぐらい候補を出してきて、どれがいいかを選んで。最近は邦画がおもしろいですね。でも(アルフレド・)ヒチコック(監督)とか昔の洋画も好きです。私と父の会話は、ほぼ映画のことなので、父と一緒にやっているオンラインサロンも映画談義がメインです。
敏 娘と映画の話をするのは勉強になりますね。若い人が何を考えているか、入口になります。
―敏夫さんのことを麻実子さんは子どもの頃、「同じ家に住む他人」と感じていたそうですね。
麻 父はいつも夜中に帰ってきて、普段全く会うことがなくて。土日だけ家にいるので、一緒に住んでいる感じがしなかったです。
敏 当時、『風の谷のナウシカ』で初めてアニメーション映画を作るという経験をするんだけど、(監督の)宮﨑駿という人がワーカホリックなんですよ。毎日朝9時から翌日午前4時まで働く。休みは正月の1日だけ。スタッフみんな集めて「付いてこれない人はやめてください」と宣言されました。こういうのがはやっていた時代なんですよ。
麻 とんでもない会社だなと思っていました。でも職場の人をたくさん自宅に招いてパーティーをやっていて、楽しかったです。子どもの頃からいろんな人が遊びに来る家でした。
敏 「アニメージュ」という雑誌を作っていた時代で、僕はお金がなかったんですよ。だから自宅に20畳の広い部屋を工夫して作って、みんなを招いていました。
麻 今も家族だけの夕食だと寂しい感覚がありますね。
―「名古屋の鬼ばばあ」こと、敏夫さんのお母様についても教えてください。
麻 おばあちゃんは私たちが会いに行っても「面倒くさい」って言って、1年に1回行っても会わない時もありました。
敏 僕の母親はドライでした。娘が生まれても一度も顔を見に来なくて、「孫なんてかわいくない」と言う人です。名古屋の特徴じゃないですかね。名古屋人はドライだと思うんです。そして合理的。名古屋の街って、東京と違って路地がなく、大きな通りばかり。戦後アメリカがアメリカみたいな都市をつくろうとしたのが名古屋なんです。街のつくりそのものが、僕みたいなのを生み出したんでしょうね。
麻 私もその血を引いていると思います。けっこう合理的に考えるタイプで、息子が幼稚園の時はママ友いらないと思っていましたが、小学校では必要だなと考えてがんばりました。私も父もドライだけど、やるべきことはやる人。でもおばあちゃんは、心の赴くままに生きる人で、やるべきこともやらない人でした。
―麻実子さんは『耳をすませば』主題歌の日本語詞を手掛けられました。
敏 午前2時頃に、当時高校生だった麻実子が帰ってきた時、「こういう話があるけど、やる?」って聞いたんです。その時の最初のセリフは忘れないですね。「ギャラは?」って。
麻 覚えてないです。そんなこと言うかな〜。
敏 本当は宮﨑駿がやる予定だったけど、「できない」と言い出して。「麻実ちゃんにやってもらおう。同年代の若い子が書いたほうがリアリティがある」と。でも期限を決めた日になっても夜まで帰ってこない。不良だったんですよ。
麻 父親がいなかったからね(笑)。(主人公の月島)雫みたいな年代の歌詞が思いつかなくて放置していました。
敏 そして急に「今からやるよ」って言って、辞書を3分ぐらいひいて「やーめた!」って。それで、訳すのをやめて勝手に書いちゃったんです。宮﨑駿に見せたら「いいじゃん」って言うので、何考えてんだろうって思いましたね。
麻 宮﨑駿さんから電話がかかってきて、「なんで書けたんですか?」って言っていただいて、気に入ってもらえると思っていなかったのでびっくりしました。映画公開から30年たった今、語り継がれるようになって、もう自分が書いたという感覚がないです。
鈴木敏夫

1948年、名古屋市生まれ。スタジオジブリのプロデューサー。徳間書店に入社、『アニメージュ』編集長などを経て、85年にスタジオジブリの設立に参加。
鈴木麻実子

1976年、東京都生まれ。鈴木敏夫の長女。『耳をすませば』の主題歌「カントリー·ロード」の日本語詞を担当。家族をテーマにしたエッセイ集「鈴木家の箱」も刊行。
今回の「ジブリパークを歩いて」は特別編として、鈴木敏夫プロデューサーと鈴木麻実子さんの対談イベントの模様をお届けいたしました。